2013年に「あまちゃん」というドラマが放送されていた。
木更津キャッツアイ」で大好きになった宮藤官九郎が脚本だった。コメディタッチで描かれる中に少し交じり合う悲しさに、何だか引き込まれていったのを覚えている。そして、あの日の描写が来ないで欲しいと、思った。

2011.3.11。 当時私は東京に居て、実家の状況も分からず、ただ何もできなかったあの日。あまちゃんはテレビの中の話なのに、あーまた何もできないんだな…と思ってしまったのを覚えている。


 
シン・ゴジラ」を観てきた。
某社代表が7回観たと言っていたからという訳でもなく、私が一番好きな邦画「リリィ・シュシュのすべて」の剣道部の先輩を演じた高橋一生さんが活躍しているからでもなく、世代として「エヴァンゲリオン」が好きだからでもなく、観なければならない焦燥感に駆られたからだった。

そして、またしても 2011.3.11 のあの日を思い出してしまった。あぁ、観なければいけなかったと感じたのは、このせいだったのだろうか。


あの日を境に、嘘みたいな現実を受け入れないといけなくなってしまった。
それを、現実みたいな嘘を観ることで、 まざまざと思い知らされる。
ゴジラがすぐそこに居るという嘘みたいな現実もまた、受け入れそうになってしまう。


おう久しぶりー!と言って小一時間話し込んだ後、あの日の前後でどう過ごしていたかが本当に大変だったという口調で話される。 そうやって前フリしないと、その人は大切な家族や友人を失っている可能性がある。
あちらこちらで耐震工事や、避難誘導道路の建設工事が進んでいる。小さな町には似つかわしくない、広い道路。まだ補修工事がされていないコンクリートの道路は、不自然にボロボロになっている。そんな道路の上を歩いた時の違和感は、今でも不思議と思い出せる。



こちらに帰ってきたら、自分にも何かできるはずだと、たぶん、どこかでそう思っていた。でも結局、日々を生きることに精一杯だったりする。自分でも何かできる、という勘違いは粉々になる。元々自信過剰ではなく、むしろ自身を過小評価してしまいがちな中、少しだけあった自尊心の欠片を、必死に拾い集める。

粉々になる中で、できることを少しずつやっていこう。一つ深呼吸をして、また今日も頑張ろうと胸を張る。