こんな本を今じっくり読んでいて、色々考えながら読んでて進まない。
整理のためにブログに書いてみる。
※なお、以下は書籍を読んでの私の解釈を書いたものであって、書籍の正確な内容は中身を参照いただきたい。

 
縁には様々な分類があるようだ。
縁の整理1
家族という意味での「血縁」、住む地域の”向こう三軒両隣”的な意味での「地縁」、会社の同僚や上司という意味での「社縁」、自分の趣味・嗜好の「趣味縁」として分類してみたい。


軸としてその縁を「選べるか選べないか」をつけてみた。まずは等間隔に、それぞれの縁を並べてみた。
縁の整理2

まず、90年代までの日本社会においてを思い返せば、「社縁」は一度決めたら変えられないという意味で「選べない」縁へと変化したように思われる。年功序列・終身雇用という意味合いでの変化である。私はその時代を実体験として生きていないので、趣味縁がどのように形成されていたのかは分からない。


縁の整理3
その後、インターネットの登場で、趣味縁が広がった。特定の趣味によるつながりを「選び」、つながることが当たり前になった。


縁の整理4
今、社縁を「選ぶ」流れが加速しているように思う。特にソフトウェアエンジニアリングに携わっているからだと考えるが、転職が当たり前になった。職を選ぶことが多くなってくると、現在の職に残ることもまた、選択となってくる。

縁の整理5
今後は、地縁を「選ぶ」ことも当たり前になってくるのだろうか。これまでは、容易に転居したりはできず、転居してもその地域で縁を結ばなければならない、「村」「ムラ」の特性が地縁であったように思う。しかし、今後はコミュニティカフェや地域おこしなど、イベント・イベントスペースを軸にした新しい「地縁」として認知されるのではないだろうか。その時の大きな違いは「選べる縁」かどうかだと思う。


縁の整理6
観点を変えると、これまでは同心円的な縁の形成が一般的だった。一人の「私」が様々な縁を考えるとき、その中心点は1つであったように思われる。これが、今変化しているように思われる。
縁の整理7
それぞれの縁はゆるやかに関連はしているが、包含関係などの強い関連はない。同心円のような多層ではなく、多種化し、「選択できる」幅が大きくなっていくと考えられる。これは深いつながりがなくなるわけではなく、深いつながりを結ぶ縁すら選ぶことがあると考えられる。


「私という実体はひとつだが様々な縁を結ぶ」ということに関しては、natさんの「非技術者のためのデジタル・アイデンティティ入門」に詳しい。一人の人間だからといって、1つの名前しかないわけではなく、複数コミュニティに入れば、それぞれに名前がある。名前=縁と思っていいのかな、と考えている。なかなかこの多様性を認識するのは一般的ではないかもしれないが……


少し脱線するが、 地方に暮らすエンジニアの抱える課題と希望 を読み、地方で東京の会社に所属している身として半分納得し、半分モヤモヤ感が残った。地方に戻ってきて、疲弊具合を体験談から聞く一方、元気な会社がいることを知った。自分はリモートワークだが、こういった企業が居ることが、とても嬉しい。応援したい。
何が言いたいかと言うと、地方に暮らすエンジニアの課題も、それを解決する手段もひとつではない。リモートワークのビジネスモデルを導入することで解決する課題もあるし、そうでない課題もある。要するに自分が解決したい課題を「選ぶ」必要があり、それは各々が自分自身しか決められないのだと思う。


まとまりがないけれど、今年はこの辺りの「」と「選択」を継続的に考えていきたい。それはコミュニティ活動でもそうだし、ビジネスでもそうだ。