「心の痛み」ということを考える/思う時に、その「痛覚」を起点に考える人と、痛みによって発生する「事象」で考える人が居る気がする。
ざっくりとだけど。例えば同じことを言っていても。
「痛い!(この痛いということについて)どうにかして!」(知覚
「痛い!(これは◯◯が悪くなっているからだ。◯◯を)どうにかして!」 (判断
となっているような気がする。
よくある「男女の違い」みたいな話かもしれないけど、それとはちょっと違うと思ったので、違う言葉で例をあげてみた。
「痛い!(この痛いということについて)どうにかして!」(知覚
「痛い!(これは◯◯が悪くなっているからだ。◯◯を)どうにかして!」 (判断
となっているような気がする。
よくある「男女の違い」みたいな話かもしれないけど、それとはちょっと違うと思ったので、違う言葉で例をあげてみた。
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