私が個人的に学んでいたデザインの分野では「言葉が大事だ」と教わってきたつもりなのに、最近の定義では言葉が大事にされていない気がしてならない。この記事ではその辺りを掘り下げる。

そもそも「UXデザイン(UXD)」を学んでいた当初はそこまで違和感がなかった。しかし、2011年頃、UX白書 を有志で翻訳する際に、レビューいただいた黒須さんから「UXをデザインするというのはおこがましい。本来はUXのためにデザインする、Design for UXなのだ」という言葉を聞いた。それ以来、UXDという言葉を紹介する際は、必ずこの説明を入れている。

ちなみに黒須さんに2012年末に伺った内容はこちら。黒須さんは当時DIF(Desiging for Impression Formation(印象形成のためのデザイン))を提唱していた。(現在はどうなのかは分かりません。
 
UX「を」デザインすることと、UX「のために」デザインすることは、大きな違いがあるように感じている。私は後者の立場だ。体験自体をデザインの対象とはしておらず、その体験の周りにあるものをデザインすることで、間接的にオモシロイこと、役立つことができればいいなぁと思っている。


ところで、2013年は「サービスデザイン」が流行したように思う。2014年も関連書籍出版の流れがあり、今後も流行が続くように思っているが、【"サービスをデザイン"】でgoogle検索すると多数ひっかかるように、デザインの対象があたかもサービスであるかのように書かれているのは、いったい何故なのだろう。
私が知る範囲では、サービス工学、サービスサイエンスといった分野から発展してきた言葉の流れとして出たように思うが、サービスを科学しよう、サービスを工学的にとらえてアプローチしようという行為と、サービスをデザインしようという行為は、必ずしも一致してないように思う。

「サービスデザイン」が意味するところも、実際は「Designing for Service」であって、「サービスのためのデザイン」なのではないだろうか。つまり「サービスをデザイン」することではないのではないだろうか。
そこには「サービス」という言葉の捉え方があるように思う。私は「無形の財」ぐらいの感覚で使っているが、「おまけ」や「おもてなし」と同様の意味合いで使っている人も多いと感じる。受益者が財と認めること、受益者が価値を感じることを起点としているのか、与益者の行為を指すのか曖昧で、そもそもその曖昧さを内包しているからややこしいのだと思う。

どちらにしろ、デザインという言葉はデザインする者の「意図」を内在していると思う。その意図をもって「UXをデザインする」「サービスをデザインする」といった言い方をしてよいのだろうか。それよりは、より留保のある「UXのためにデザインする」「サービスのためにデザインする」の方が、私はしっくりくる。

私はデザインの対象はハードウェアやソフトウェアだと思っていて、そこに多少ヒューマンウェアがあるとは思っている。いわゆる広義の「人工物」がデザインの対象で、サービスやUXがデザインの対象だとは思わない。デザインのために理解・共感しないといけない重要なファクターであって、それ自体がデザインの対象ではない。 いわゆる「ヒト」、あるいは「ヒトの感情」がデザインの対象ではない、ということを確認しつつ、ちょっとした言葉遣いを気を付けたいと思っている。


 
■追記(1/22 14:00)
この記事を公開したところ、「例えば人工物ではなく【自分の人生をデザインする】といった言い方があるので、 無形なものがデザインの対象ではないということに違和感を感じる」(改変済)という指摘をいただいた。確かにその通りであると思うので、ここに追記しておきたい。
私としては、サービスの価値を決めるのは、送り手ではなく受け手にあるように思う。だから、あたかもサービスの価値をこちらで決めてしまえるかのような言説に対する違和感が強いのだと、上記の指摘をいただいて気付くことができた。

■追記2(1/23 07:30)
 
過去に参加したセミナーの資料が思い出せなかった体たらくですが、私が言ってるのよりもっと精緻に積み上げてるので、こちらのスライドを参照いただければと思います。(逃