ここ最近、仕事をする中で要約がテーマになっている。
自分はどうも不安になると、言葉を継ぎ足していきたくなってしまう。(自分で思い当たる節がある。)それは、何か情報共有する際に、何かを設計する際に、重荷になる。 


何故そうなってしまったのかを考えて、ふと思い当たることがあるが、プライベートなことなので詳細は省略する。ただ、私にとって、ズレ続ける対話をズレないように言葉で縛ろうとしていた、そうせざるを得なかった時期があった。

言葉は、自分と相手の間にある。自分の側にしかない言葉、相手の側にしかない言葉は、意味を成さない。当面の認識を揃えるために不要な詳細を言葉で送りつけることは、相手の身体を単に縄で縛ることに等しい。 いくら相手の身動きを奪っても、相手の心を縛らなければ縄はいずれ解けてしまい、意味を成さなくなる。心を縛らず、相手が必死にもがけば、縄はいずれ解けてしまう。

心を縛るには、縄自体を相手に預ける必要がある。相手が自身で、縛られることに納得する必要がある。

私はきっと相手の心を縛りたいのに、身体を縛り付けることで仮の安心を得たかったんだと思う。


言葉は呪い。
呪縛されているのは、私自身だった。