東北歴史博物館の夏季特別展「家電の時代」に行ってきました。
7月26日〜9月28日の開催だったのですが、バタバタしていたため最終日にやっといけました。


 
06

展示写真

展示内は撮影禁止で、個々の「家電」が博物館風に展示されていました。一部の再現展示のみ撮影可能だったので、そこの写真を挙げておきます。

IMG_7279
撮影可能だった昭和の時代を再現した部屋その1
IMG_7278
撮影可能だった昭和の時代を再現した部屋その2
IMG_7277
雑誌
IMG_7283
黒電話
IMG_7285
テレビはつまみを回してたなぁ

展示を観て思ったこと

わたしたちの「選択」の結果

今残ってる家電は、私達(使い手)の「小さな選択」の結果でもあり、メーカー(作り手)の「大きな決断」の結果なんだろうなーと思う。
必要から生まれた「家電」は当然あり、その後に面白家電があった。「炊飯器の上部に立体鍋をつけて、炊飯の余熱で味噌汁も温められる!」とか、炊飯器の内釜を扇型に4分割して4つの料理が同時に調理できる!とか。(こちらのブログに写真があった)そういったアイデア家電がいっぱいあった。いや、アイデアがあった。それらはきっと便利だっけど淘汰されたものが、いっぱいあった。それらを買わなかったのは、わたしたちの小さな選択だったんだろう。その開発をやめるという判断は、メーカーの大きな決断だったんだろう。

ある種のユーザー中心だったもの

一方で、洗濯機の進化の過程での「ラベリング」の変化が面白かった。最初に発売された洗濯機は、「撹拌して洗い、ローラーでしぼる機械」だった。それが「二槽式」になり、「一槽式」になり、そのツマミには「あらう|しぼる」とラベリングされていた。それが全自動になると、「電源入/切」になっていた。(今では脱水や乾燥の工程を「しぼる」と表現する人は居ないんじゃないだろうか。)
人間中心設計を学んだ時に大事だったのは「動詞で考える」ことだった。ユーザーの行動に寄り添うことは、ユーザーの動作、「動詞」に着目することに他ならない。
洗濯機が一般的ではない時、ラベリングはそれまでの行動を反映したものに当然なる。そのぐらいベタな表現で、きっといいんだろうし、スイッチON/OFFでは分からないんだろうなー。