最初に結論を書くと、デザインのレイヤーを揃えて話をしないといけないし、何でもかんでも「UXデザイン」と言ってしまうのは問題の矮小化が起こるからやめた方がいいと考えます。
 

デザインのレイヤーの話


セブンカフェのUI論について を読んで、「UIやオペレーションには確かに改善点はあるものの、ユーザーに対して新しいコンビニの価値提案ができたことは、とても素晴らしいことではないか」という結論には同意しつつも、デザインの失敗の烙印を押されているのは仕方がないことなのではないかと思っています。

そもそも、佐藤可士和さんは何のデザイナーかと言うと、wikipediaによれば肩書は「クリエイティブディレクター、アートディレクター、グラフィックデザイナー」で、プロダクトデザイナーではないと思います。いわゆるコンセプトワークと言われるような、企画に相当するところを仕事として、ビジネスをつくる仕事をしているように思えます。
このような佐藤可士和さんの仕事自体、ビジネスとしての成功を否定している人は居ないように思えます。コンセプトワークの否定をしているわけではないはずです。しかし、「デザイナー」という語の幅広さゆえ、佐藤可士和さんがデザイナーの代表格であるように扱われている中、そのアウトプットがアレ(ユーザーテストを1度でもやれば分かりそうなユーザビリティが低いと思える機械のインタフェースの表現、タイプを理解してないのではないかと思われるロゴの表現)なので否定している人が多いだけではないかと思えます。
ユーザーにニーズがあり、それによってビジネスとして成功していることは、以下の記事でもわかるかと思います。
コンビニのコーヒーは必ず儲かる?! 何度失敗しても諦めなかった理由
私は以下の記事などが頭にあったので、コンセプトワークよりも店舗オペレーションのデザインが鍵だと思いますが。
なぜミニストップのソフトクリームは真似されないのか

何が言いたいかというと、デザインのレイヤーが違う話が混ぜ込まれている、という話です。


セブンカフェの事例は、UIをスッキリ(シンプル?)にしたことでの失敗に見えやすい事例だと思われますが、 逆にUIがゴテゴテしていることで失敗に見えやすい事例というと、ECサイトなどがあるかと思います。以下のeBayの例などが話として挙がったりします。
eBay でヒドいデザインの方がコンバージョン率が高かった、という話 

また、不便であることに便益がある、という考え方もあります。京都大の川上さんが作成している「不便益システム研究所」はそういったことを考えるヒントが集まっています。
曲線電子レンジ|不便益活用法|不便益システム研究所

上記の例からも、UI(グラフィック?)のデザインの話と、ユーザーへの価値提供は別のレイヤーです。だから、ヒドいデザインだ!と言われているのはUIの話で、ユーザーへの価値提供の話ではないはずです。ただ、ここでUIよりもユーザーへの価値提供だ、という擁護をしてしまうと、それはそれで問題があります。上記の例のようにヒドいUIが価値につながっていればよいですが、セブンカフェの場合はそれが明らかに繋がっていないと思います。(店員にポップでの工夫を促すデザインとしてならば大成功ですけど)それを擁護してしまうと、逆に価値提供の意味を毀損してしまうように思えます。

極論、UIがヒドくてもUIがヒドいなりの理由があればいいので、それが伝わればいいように思えます。

 

なんでもUXデザインの話にしてしまうこと

自分はUXデザインしか知らないからですが、何でもUXデザインにしてしまうのは危険だなーと思っています。UXを考えないデザインがあるかというと、ないと考えるからです。UXデザインは、これまでの様々なデザイナーのユーザーのことを考えるための知見を(私のような)デザイナー以外が共有できるようにしていることが大きく、デザイナーがUXデザインする、というのはトートロジーがあるように思います。
佐藤可士和さんは、ビジネスのレイヤーでは大成功してますし、それはUXデザインやサービスデザインというレイヤーよりももっと外側にあるように思えます。ここ最近でも、UI(やグラフィック)のデザイン、ユーザーシナリオのデザイン、組織のデザイン、サービスデザイン、ビジネスのデザイン、と様々な考えがUXデザインに入ってきています。それを全部UXデザインに含めるのは、苦しくなってきているように思います。



とりあえず、今回はここまでにしたいと思います。
堅苦しい言葉であれこれ議論するのでなく、ミニストップのソフトクリームでも食べながら話したいです。