Facebookの実験は何がアウトだったの? - nohdomi's blog
のーどみさんがブログを書いていて、ほぼ完結しているのですが、気になったのでブログに書いておきます。

私は大学の時に「生命倫理」という授業を受けて以降、技術と倫理観について常に揺れながら、考えながら仕事をしていました。影響を受けた授業については、以下に書きました。

ハイテクは必ずしも人のためにならないし、ローテクでも誰かのために一生懸命考えることが大事ですよね

「技術の発展のために実験をするのが何が悪いの?」というのは、技術者なら抱える疑問だと思っています。抱えることに悪はなく、むしろ、考えないこと、つまり「実験は悪だ」または「技術の発展は良いことだ」と決めてしまい、考えなくなることが悪だというのが私の立場です。
技術の発展を願うならば、その技術がもたらす影響を考えた上で実施すべきです。インフォームドコンセントが必要なのは、対象者が安心することもあるけれど、その技術を使うことで何が起こるのかを、実施者自身が整理することも大きいと思っています。
今回のFacebookの「実験」を批判するのには歴史的な意味が大きく、人間は過去に過ちを犯したことがあります。ロボトミーとか、ダイナマイトを発明したノーベルの苦悩とか、原爆・水爆で検索すると出てくるかと思います。
人体実験 - Wikipedia

極論すれば、倫理のない技術は、何の意味があるのでしょうか。エンジニアリングに携わるのであれば、それは考えておかねばならない問題に思います。

別件ですが、本当はそういう方向に意識がいってしまいがちな言葉も修正していかないといけないのではないかと思っています。例えば、「ユーザー体験をデザインする」のではなく「ユーザー体験のためにデザインする」(UX Design → Design for UX)であったり。モノづくり・コトづくりと語呂を合わせた「ヒトづくり」であったり。(つくりたいのは人造人間ではないですよねw
ほとんど語呂の問題だろうな、とは思いつつも、言葉に意識が引きづられることも多々あるため、常に意識を向けておきたいと考えています。