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2012年12月

2012年の抱負から

http://d.hatena.ne.jp/cha-cha-ki/20120104/ready

・UXDの実践を進める

 →75%。転職したのですごくやりやすくなった

・社会心理学を自学自習する

 →10%。ちょっと本を読んだ程度

・Androidアプリ/iPhoneアプリを1本ずつ作る

 →40%。hcdvalueのAndroidアプリで1本。iPhpneアプリはなし。


ふりかえり

今年一番大きかったのは転職ですね。某社から府中のセカンドファクトリーという会社に転職しました。ひとつは、家族の都合のために。もうひとつは、社外勉強会コミュニティで活動していたことを実践して活かしていくために。

転職活動は、結局半年間くらいやっていました。といっても、割と忙しい仕事の合間だったため、結局身にならず…最終的に最後の1ヶ月で決まったようなものでした。

その分、自分をちゃんと見つめることができた気がします。

本当に自分がやりたいことはなんだったのか。1年以上かけてずっと考えてた気がします。その代わりずっと体調不良でしたがw(今は回復しました


これから

というわけで、これからのことについて。

まず、大きな目標について。

ユーザーのためにデザインされたコトを、エンジニアサイドの言葉におとしたいです。今はユーザーのためにデザインされたことを、ユーザーインタフェースやインタラクションという形でおとされることが多いです。最近は、ビジネスサイドの言葉と繋げようという動きも大きいです。でも、もうちょっとエンジニアサイドの言葉、システムの言葉におとせるんじゃないかなぁという予感があって、それを考えていきたいです。


プライベートについて。2013年中には、今は実家に預けている娘を、こっちに連れてきたいなぁということ。これを実行するために動いていきたいと思います。


社外コミュニティについて。色々もらったものが多いので、ちょっとずつ恩返ししていきたいと思います。そういう場は、これからも必要だと思うので。


仕事について。社内で足りないと思ったものはどんどん提案していきたいなぁと思います。まずは社内でアジャイルサムライ道場を企画したので、サクッと実施していきたいなぁと。


そんなこんなで、2012年は大変お世話になりました。

2013年もよろしくお願い致します。

最近ぼんやり考えることを誰かに伝わるか分からないけど残しておこうと思う記事。

最近、コンセプトデザイン・戦略の話と、開発の話で何で似てるようで違うんだろうねーといったことをうんうん唸りながら考えてることが多くて、というのは最近職場が変わって、その両方を考えるべきだと自分で考えているからなのですが。

とりあえず、一旦、仮に(保険掛け過ぎ)、戦略レベルの話は「ビジネス寄りかユーザー寄りか」、細かい戦術の話は「(いわゆる)ウォーターフォールかアジャイルか」ということにして、以下の話を進めます。

以下のようなざっくりとした軸を設定してみます。

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この平面上で言うと、いわゆるソーシャルゲームなんかは、こんな打ち上げ方なんじゃないかなーと。

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ほぼ真上に発射するイメージ。ユーザーにとって価値があるかというと、無いわけではないですが、暇つぶしであるとか、射幸心であるとか、そういったことかなぁと思います。

これはこれで儲かるという意味では成功していると考えます。

そして、この逆は何かというと、公共であったり福祉であったりという分野かなぁと。

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ほぼ真横発射イメージです。これは、容易に落ちます(ビジネス的に失敗します)。なので、政府であったり、地方公共団体といった団体が半ば強引に浮力を作る必要があります。補助金とかですね。


ここで本題で、今みんなが考えているのはこの中間なのではないかなーとぼんやり考えています。

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仮に45度としても、ここを狙って発射するのはかなり難しい。ので、ユーザー調査をしたり、ビジネスモデリングをしたりして、打ち上げるための角度をちゃんと測って、その上で打ち上げようという話なのかなぁと思ったり。ここに分類されるのは、サービスデザイン、フューチャーセンターなどでしょうか。


ちなみに、冒頭で述べた開発の手法というのは、ここで言う微分値(ある時点での矢印の方向性)だと思っていて、ウォーターフォールは初速だけで勝負!という話なのかなぁと。アジャイルは、多段ロケットなイメージです。(最初に計画しないわけではない。限られたリソースでどう飛ばすかを考える感じ)


この話は3方向ぐらいに膨らませて考えています。

1つは、別の評価軸を設けているために、既存の価値観だけで測るのは危ないということ。これまでは、ROIという指標の元に、ビジネス側面の軸(縦軸)で評価があったのだと思います。でも、これからは少なくともユーザー軸(横軸)が加わったりして、既存の価値観以外で判断する必要があるのではないか?ということです。

2つ目は、どれだけ初速を磨いても、ちゃんと方向を見据えないと意図しない方向に行く、ということです。そのために開発手法があると思っています。アジャイルといっても、スクラムやXPなど、様々ですし、最近はUXD系の手法もそこそこ融合している感じがします。

3つ目は、狙いたい角度(仮に45度)とした場合に、着地点が見えにくいということです。福祉だとすぐそこに困っているユーザーがいて寄り添うように解決していく、といった具合だと思っているのですが、45度の角度で飛ばすと、最終的に誰に届くのかは見えにくくなってしまいます。

といった感じで、個人でもやもや考えております。もし俺も同じこと考えてたよーとか感想があれば、オンラインでもオフラインでもchachakiまでご連絡ください。

http://matome.naver.jp/odai/2135385286507318401

という記事があったのではてなブックマーク経由twitte行きで反応したら、反論記事とともにまとめられてしまったので、書いておきます。

http://www.yuhei-tsukahara.com/2012/12/ux.html

まず最初に立場を表明しておくと、私はUXという言葉を使うことに優越感を抱いたことはありません。なので「ユーザーエクスペリエンスをUXと言う人は優越感を抱いている」という意見をぶつけられても困ります。


UXについて

http://www.slideshare.net/masaya0730/uxux

私が説明するより安藤さんのスライドを紹介した方が早いので、上記のスライドをご参照いただくとして、UXというのはユーザーの体験そのもので、ユーザーという「ヒト」の内面、心の動きのことを指している、という立場を私はとっています。「あるシステムや製品を使った時の心の動き、」ですね。

それ自体は単に体験するものなので難しく考える必要はないかと思います。ただ、それをお仕事にしたり、デザインを考えたりする場合には、どうしても「ユーザーがどう考えて行動しているのか」を知る必要があります。そこでアカデミックな知見や議論が必要になるのだと思います。

単にパーティを楽しむだけなら、何も考えないでいいと思いますが、パーティを楽しんでもらうために準備する側は、何も考えなかったらいけないですよね、ぐらいの話です。


「UX(という言葉)が直感的であるべき」という話について

まず、主張の根っこにある「ユーザーエクスペリエンスを考慮する際に、最も重視するのは直感性だと思います」という点は、私個人はよく分かりません。まず「直感的」ということを説明して欲しいのですが………、文脈から見ておそらく「パッと見てわかる」ぐらいの意味でしょうか。

でも、これって非常に難しいです。例えば、フェンリルさんのブログ記事で、「保存する」ボタンのアイコンにフロッピーディスクのデザインを使うか否かの議論をしています。

ここ2年くらい勉強してわかるのは万人に共通してわかりやすいインタフェースなんてないな、ということです。もちろん、公共のサインなどは万人に分かるようにデザインされているのですが、ソフトウェアやwebといったデザインになると途端に難しくなりますよね。パッと思いつく限りでは、初心者用のUIと熟練者用のUIは違う、といった話です。

話を戻すと、まず「直感的ということがどういうことを指しているのか」を定義しないとこの問いは意味を成さないと思います。そして、それが誰にとって、何故、直感的である必要があるのか。を置いておかないと、ただ「私にとって分からないので私にとって分かるように説明して欲しい」という議論の域を出ないかと思います。


「これは外来語を適切に和訳して略すなという意味か」について

私が言った内容で140文字で伝わりにくかったかと思いますが、書いた方が「UX」という略語を否定して「ユーザーエクスペリエンス」「ユーザー体験」「満足度」といった語を提唱されているので、そのことを指して述べたつもりです。略すこと自体に異議を唱えていらっしゃるという趣旨と読みましたので。

最終的に「使いやすさのガイドラインを議論している場に、別のガイドラインを前提とするならば、使いやすさを議論することにはならない。」という主張が本筋だと思いますので、そちらについて述べさせていただきます。


議論で一番問題になるのが、言葉の定義です。議論をするには共通の認識をつくる必要があり、そのためのツールが言葉だと思います。そのための一つの手段が別の定義されている文書を引用する、ということかと思います。(この場合、別の文書をある程度読むことを前提としているので、おそらく「直感的」ではなとは思います。

想像ですが、批判している対象は、ISO9241-210やUX白書の定義をひかずに、突然「UX」という言葉を出す一部の方なのかなぁと思います。

どうしても、言葉を定義するには知見や議論の積み重ねが必要です。その積み重ねがあるなら、「UX」でも「ユーザーエクスペリエンス」でも「ユーザー体験」でも「満足度」でも議論できます。なので、略すこと自体に何も悪いことはなく、言葉の定義に潜む積み重ねを否定されていることが、議論したい対象なのかな、と感じました。そうでなければ、ただ「私が分かるように説明しろ」になってしまうので(笑)


まとめ

まとめますと。

  • UXという言葉を使ってる人がみんな偉そうにするためにUXという言葉を使っているわけではないので、できれば訂正してほしい
  • 私はユーザーエクスペリエンス=UXはヒトの内面の心の動きを指しているという立場です
  • 「直感的」という言葉の定義がない場合、直感的という言葉は議論にならないので使用すべきでないと思います
  • 言葉の定義の裏側にある知見の積み重ねが、議論のために必要なので、言葉自体の表層で批判しているように読めるのは残念です

補足

「ユーザーエクスペリエンスという言葉自体がユーザーエクスペリエンスを考慮しているのか」は非常に面白いので、引き続き考えたいと思います。

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